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『ネコ騙し辞典~か:顔 』

その瞬間は唐突に訪れた。
偶然であったのか、必然だったのか、ドアをノックする音が始まりだったのは間違いないだろう。


『はーい』

時刻は深夜2時を少しまわったところ。こんな時間に訪れる訪問者に心当たりも見当もない。

『ドンドンドン』
ノックの音が規則的に聞こえてくる。

『なんですかー?』
ノックの音がやむ。
ドアごしに初めて声が聞こえる。男の声だ。

『夜遅くすみません』

低く少しかすれた声。
なんとなく聞いたことがあるような気がする。
その声が不思議と警戒心をゆるめてくる。
ドアまでの道すがら記憶を探るが思い当たる人間が浮かんでこない。
「誰だ。この声」
ドアノブに手をかけ力をこめるとそのすき間から男の顔が現れる。

『なんです…』

一瞬時間が止まる。誰かに心臓をわし掴みされ無理矢理止められたような。
出かかった言葉が喉に詰まり息苦しさを覚える。
開いた瞳孔が閉じ方を忘れてきた。
こぼれるように落ちる言葉。

『…え?』

相手の男が同じ言葉を繰り返す。
『夜遅くすみません』
『なんで?』
なにもわからない…。
男の口が動く。ゆっくりと。
『あなたにどうしても会いたくて』

向かいに立つ男は、自分と全く同じ顔をしている。

とっさに閉めようとしたドアに男が靴をねじ込み喋りだす。

『ちょっと待ってくださいよ。僕はあなたを探していたんですよ』
男が体をドアのすき間から滑らせるように入れてくる。
『話をしましょう』
そう言って靴を脱ぎ部屋にあがってくる。
それを目でおいながらなんとか言葉をはっする。
『なんなんだお前は』
体は依然動かない。固まったまま。
喉の乾きがひどい。

『そんなところにいないで座ってください。まぁここはあなたの家ですけど』
男の落ち着きが、自分に恐怖を植え付けていく。
「なんなんだこれは。意味がわからない」
混乱する頭で必死で考える。なにがどうなっているのか。
「なぜこの男は、自分と同じ顔をしているんだ」
自分の顔をしている男と会話をする違和感が、全身の感覚を麻痺させていく。

『誰なんだお前は』
わからないが黙っていてはまずい。

『座ってください』
『誰だ!』
男が口元で笑う。
『僕は、あなたですよ』

よくないことが起こる。
それはわかる。
ただそれがなんなのかはまだわからない。
あとどれくらい時間があるのか。
同じ顔をしたもう一人の自分。
震える手を見ながらほんの少し笑みがこぼれた。

男の向かいに座る。それを合図に男が喋りだす。
『さぁ話しをしましょう』
一つだけ聞いておこう。
『その前に教えてほしい』
『何を?』
『なにしにここに来たんだ』
『わかってるでしょう?』
聞きたくない。その言葉を。ただ自然と口が動く。
『言ってくれ』
男の笑みが消える。

『あなたと代わりに来たんですよ』

やっぱりそうか。
てか、こんなこと、本当にありなのか…。

『ビールでも飲もうか?』
手の震えは止まっている。
『いいですね』
缶ビールを二本手に男と向かい合う。
同じ顔をした自分と。

『あんたの言うとおりだ』
『なにが?』

『ゆっくり話しをしよう』

記憶が薄れ、視界がぼやけていく。
そして深い闇が二人の自分を包みこんでいく。


ドアをノックする音で目を覚ます。
「夢か…」
嫌な夢だ。全身に汗をかいている。

ドアのノック音。

『はーい』
ドアを開ける。
そこには一人の男が立っている。
『朝早くすみません』
男が喋り終わる前に自然と言葉がこぼれる。
『あれ?どっかで会ったことありません?』
男の顔に見覚えがある。よく知っているような、身近にいたような、それが誰なのかだけがすっぽりと抜け落ちている。
ただ、この顔は知っている。

『いえ、初めてだと思いますが』
男が表情を変えず言う。
『そうですか。すみません』
勘違いだろうか。そうは思えない。
なにかがひっかかる。
目の前に立つ男に。

『いえ、とんでもないです』
男が笑う。その顔も知っている。
とりあえず話しかけてみる。
『なんですか?』
『いえ、確認で来ただけなんでもう大丈夫です』
『確認?』
『ええ。それでは』
それだけ言って男が去っていく。
なんだったんだ。よくわからない。
男の顔。会話。
なにかがおかしい。
違和感。
気にしすぎか。

ふと鏡に目をやる。
そこに写る自分の顔。
『え?』
そこには自分が写っている。
『誰だ?』
写る自分の顔。
『なんだこの顔…』
自分の顔。
『これが…自分の顔?』
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